双筆東海道 沼津  広重・三代豊国 画

歌川広重と三代歌川豊国の合作。広重が風景を描き、豊国が人物を描いたこのシリーズ、それぞれが得意の分野を担当して好評だったそうだ。
手前の人物は「伊賀越道中双六 沼津の段」平作の息子と娘、十兵衛と於米でしょうか。父とは知らず、十兵衛が平作の家に一泊した時の兄妹を描いているのでしょう。
 後ろに雄大な富士と愛鷹山が描かれており、松原の間に沼津城と宿場の家並みが見える。駿河湾の海上から俯瞰的に見た構図になっている。
沼津の城は、武田の武将高坂源五郎が天正5年(1577)に三枚橋城を築いたとされ、武田勝頼が北条、徳川に備えた城であった。三枚橋にちなんで付いた名だという。
関が原の合戦後、1601年(慶長6年)に大久保忠佐が城主となったが、後継者不在のため一時廃城となっている。その後、沼津は幕府の直轄地となり代官が置かれていたが、1777年(安永6年)水野出羽守忠友は10代将軍徳川家治よりこの地を拝領し、新たに沼津城を築城した。
広重の時代、沼津は五万石であった。どこまでも広がる松原は、鎌倉以前より存在していたらしい。武田勝頼は北条氏との戦いに際し、伏兵を恐れて伐採してしまい、その後乗運寺の増誉上人が潮害を防ぐために植えたという。